イギリス留学②
数ヶ月の研修後、イギリス北部Leedsのある学校へ入りました。
何分、英語が全くできず、偏差値が、40以下の私にとりまして、苦痛の9ヶ月でした。
ただ、今回のホストファミリーは、元お天気キャスターであった中流以上の階級の方でしたので、毎晩、食後のポテトチップスは私の分もありました!笑
ポテトチップスの他にもヨーグルト、紅茶付きです。なんて贅沢な日々でしょう。。。
そして、冷蔵庫には、毎朝、ハムとバターがあった(用意されていた)のです!!
毎日学校には、ハムをたっぷり入れたサンドイッチにバターを塗りまくり持って行ったのは、ここだけの話です。
あいつ、ハムよく食べるなぁと思われていたはずです。
肝心の英語ですが、Leedsはヨークシャー地方のため訛りがひどく、何を言っているのか、全く理解できず、1年間イギリスにいたにも関わらず、英語を一切習得できなかったのです。
はい、言い訳です。。。
どのくらい田舎であったのか、バスを乗って降りる時に、thank you! でもCheers! でもなく、Ta(ター)でした。
ちなみに、Cheersは、乾杯ということで使いますが、イギリスでは、ありがとう!ということでよく使われます。その他、lovelyや、Hi, mateがイギリスでよく聞かれる単語です。ネットで、イギリス lovely, イギリス mateと検索しますと色々と出てくるかと思いますのでご興味がありましたら調べてみてください。イギリス訛りでlovelyやmateと言われますと、不思議と非常に親近感がわきます。是非、イギリスに行った際には、少し慣れた時にCheersと言ってみてください。ただ、上流階級の人は、cheersやmateを使わず、また、訛りがないというのが私の印象です。
学校生活ですが、あまり英語が話せなくても済むようなクラスに入れていただきました。進学校だったようですが、その中で、進学せずに労働者階級(ブルーカラー)の仕事に就く人々がわずかにいます。そのクラスに入ったのです。
授業の合間の休みでは、大きな休憩室にみんなが自然と集まるのですが、最初のころは、よく声をかけてもらえました。ただ、挨拶しかできない私は、段々と声もかけられなくなり、そして、9ヶ月間ずっと一人で過ごすことになったのです。
ただ、唯一声をかけられることがあります。
そうです!お金を貸して!と。
「50ペンス(当時のレートで100円ほど)貸してくれ」と。
学校の中で売店があり、そこで、チョコレートを買うのがみんなの楽しみでした。
絶対に返してくれないんですけどね 笑
そして私の唯一の楽しみは、放課後に家の近くでサッカーすることでした。
サッカーと言えば思い出しましたが、小学校高学年の頃、DMでブラジルにサッカー留学しませんか?というのがきたのです!
小学生の時もDMにひっかかる髙橋
ドイツブンデスリーガで活躍?した最初に日本人プロサッカー選手となった奥寺康彦氏のポスターを部屋に飾り、そして、釜本邦茂サッカー教室に参加するなど、センスがないにも関わらず、サッカー熱で溢れておりました。その情熱の最中のDMであったため、一人でもブラジルに行きたい!世界で活躍するサッカー選手になりたい!ということを強く熱弁しましたが、親は、小学生を一人で、しかもブラジルに行かせるわけにもいかず、断念させられました。
元なでしこジャパンの丸山さんが、オフサイドを知らなかったという話をテレビで見たことがありますが、私も小学校卒業直前まで、オフサイドを知らずにサッカーをしていました
ほんと、アホですね!
情熱なのか、現実からの逃亡なのか、この時ももちろん現実逃避だった可能性が高いです。。
小学校から発揮された、「逃げの髙橋」、高校、そして、社会人になってからも逃げの髙橋が現れます。
*その話は、のちほど。
話はそれましたが、サッカー以外は、毎週末一人で、Leedsの街を一人でブラブラしていました 笑
これでは、英語が伸びるわけもなく、当然の結果として、英語が話せるようにもならず、帰国したのでした。
逃亡したにも関わらず、逃亡前と結果が変わらないという結果に。。。
その後、髙橋はどこに向かうのか。
<余談>
最近は、留学ということを1990年~2000年代よりか、聞かなくなったような気がします。ちょっと重たい話ですが、同じ斡旋会社でアメリカに行った女の子は、ホストファーザーにレ〇プされ、事実が公表されることなく、そのままうやむやにされた、ということがあります。ホストファミリーは通常貧困層が多く、危険なのですが、その危険性を十分に理解しない日本人が多いというのも事実です。業者は、このあたりのリスクは、きちんと伝えて、留学させるべきだと思います。
2021.12.3