モンラー、ご存知ですか?(ちょっとブレイク)
もし、このブログをご覧になっている方でモンラーをご存知の方がおられましたら相当マニアです!!
まず、ご存知がないと思います。
知っていても行ったことがある人はまずいないと思います。
モンラーは、ネットで検索すると、wekipediaではミャンマーのシャン州と書かれており、殆ど情報が出てきません。
そして、ミャンマーのチャット(通貨)と中国元が使えると書いてありますが、現実は、中国元しか使用できません。ミャンマー国内なのにも関わらず!!!
ここには、私は、数回訪問したことがあります。そのうち、1回は、通訳を伴い説明を受けながら、途中まで同行いただきました。
ご存知の通り、ミャンマーは軍事政権が支配しておりますが、モンラーに行く途中の街は、意外かもしれませんが、外国人は、非常に安心して移動できる場所です。日本よりよっぽど治安がよく、世界でもナンバー1の治安のよさだと思います。
これは、タイから入国する際に、パスポートをミャンマー政府に預け、向かうため、ミャンマー政府は、誰が、どこにいるか常に監視しております。途中の宿泊できる街、チェイントンで、夜8時くらいに道を歩いていると、必ず、声をかけられます。何をしているのか?と。それでホテルに戻れと言われます 笑
暗闇の中で、座っているため、パッとは気づきにくく、こっちが驚いたのを覚えております。そして、言い返したくなりました。「あなたが暗闇の中から声をかけるほうが、夜道を歩いているより、よっぽど怖いよ!」と。
ミャンマー軍事政権が、完全に管理できない場所は、安全に移動できる場所のみ許可されており、それ以外の場所は、移動が許可されないのです。
外国人に何か起きたら大変なため、管理をしながら、そして、安全に移動できる場所のみ移動が許可されております。
そして、モンラーですが、こちらは、Special regionと言われ、一時期ミャンマー政府ではなく、自治を認められたシャン族が統治しており、ミャンマー国内にも関わらず、途中で銃をもったシャン族の兵士が、ミャンマーとの国境?で入域者(入国者?)を管理していました。
そして、初めて訪れてから、数年後、街が荒れ果て、シャン族の兵士の姿が忽然と消えたのです。
それにも関わらず、日本でニュースにもならず、おそらく、世界のどこでもニュースにならずに静かに完全に征服されてしまいました。
完全に閉ざされた街で何が起こったのか?
2回目訪問時のあの街の荒れようは、突然軍隊?に襲われ連れ去られた中国人が多かったと分かるほどの明らかな荒れようでした。シャン族は、カジノで儲けた分を○○の○○党に十分上納しなかったため、壊滅させられたのではないでしょうか。
そして、その恩恵に預かっていた中国人も一緒に消えてしまったのです。
中国に接する地域は、徐々に○○〇〇党に支配されつつあると、自分の眼で見て、感じ、自分も監視されているのではと、恐怖を覚えました。
民主主義vs○○主義の一部を自分の眼でみることができた貴重な体験でした。
<更に雑談>
現地の少数民族の家に宿泊したいと、通訳に無理にお願いし、チェイントンのホテルにチェックインし、そして、山奥の現地人の小学校体育館ほどのかやぶき屋根の家族の家に宿泊することができました。そこでは、若い男女が好きな人に歌で自分の気持ちを伝えるという昔ながらの伝統的な光景を目にすることができました。この光景は、今でも目に焼き付いており、このような、素晴らしい伝統ができるだけ残りますように、と願ったのを覚えています。そのようなシャン族の方々がシャン州の自治政府の崩壊に巻き込まれずに、大丈夫であったのか、今となっては、分かりません。
2021.11.10